日々のこと

気が向いたときに好き勝手書いてます

同調と対立とかインターネットとか

私の生活にネットというものが入ったのは、中学生の頃だった。小学生の時には、パソコンのタイピングの授業はあった気がするけれど、その頃のネットは電話回線で今考えると遅いなんてものじゃなかった気がする。高校にはいった頃からネットに繋がるスピードが多少早くなってきて、パソコンで色んなものを見てきた。それと同時に、テレビを見る機会が激減していく。大学の4年間に至っては、家にテレビが無かった。どうしても欲しいものでもなかったし、よほど見たいものも大抵ネットに上がるからそれで見ればいいやくらいで生活してた。大した不自由でも無かったし、それ以上にネットの世界に面白いものが溢れてたし、色んな人にも気軽に出会えた。現実世界で会うことも、顔を見たことがないまま、5年以上の付き合いがある人ですら何人もいる。今は変な方向に向かって厳しくなっているし、これからもそれは変わらない。

元々見ないテレビを見なくなったのは、批評することのできる人が少ないことによる、同じような番組ばかりになったからだと自分のことを思ってる。昔から続けてるサッカーが好きだけれど、日本のサッカー番組は、全試合のハイライトをやってそれで終わる。そうじゃないんだよ。このプレーはここが良かった、点に関係のないプレーでここが良くなかったって言えばいい。ハイライトは別にネットでだってニュース番組でだって見れるし、見たい人は見てる。今のメディアは批評しない。
私は、自分の良いと思うものを批評してほしいし、自分が良いと思わないものを良いとも言ってほしい。(もちろん良いものを良いとも言ってほしいけど)誰にだって批評の権利はあるし、もちろんその主張に対して批判する権利さえも誰にもある。ネットの世界には両方が溢れてるから自分は好きなんだと思います。けれど、批評だけでなく非難が溢れたから、色んなものな規制、規制、規制、制限、制限となっていく。

ネットにある嘘を見抜けないという子供が増えているそうです。「ネットに書いてあったから」という答えが頻繁に起こるんだとか。ネットの使い方を教えると同時にネットの付き合い方を教えるんじゃないと思う。まず、「信用はしても信頼はするな」ということを叩き込むべきだと思う。
うそをうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい
これは、2000年に発生したバスジャック事件当時2chの管理人であるひろゆき(西村博之)がインタビューで言った言葉だ。もう現在、Twitterやブログなど誰でも気軽にいろんなことを発言できるようになった。それは顔が分かる状態や、そうでない状態もある。
ネットに何かを書き残すというのは、顔が分かる人だけが見てるわけではない。同じ意見の人だけが見てるわけではない。自分の事を嫌いな人でさえ見ているし、中傷したい人でさえも見てる。そんな可能性があることをちゃんと教えてあげたらいい。ネットとの付き合い方を現実世界に持ち込むから、既読スルーがーとかの閉鎖空間によるイジメだって起こる。

ネットは楽しいものなんだよ。